岡田有希子さんの死ぬまでの3日間(後編4月8日)
ブログを書くにあたり、1986年4月8日のことは、たくさんの書物やパソコン上に書かれていますが、ブログということもあり、スペースを取らず簡潔にまとめようと思うために、岡田有希子さんの母親の手記が載っている「岡田有希子 愛をください」という本から抜粋しようと思います。
ちなみに、岡田有希子さんのお母さんは、すでに亡くなられております(昨年の私のブログの5月16日の山本屋総本家の東京進出の記事を参照にしてください)。
1986年4月8日、AM9:00南青山マンションの6階の住人が管理人の部屋(3階)を訪れ「4階がガス臭い」と報告する。
AM10:09警視庁通信指令センター(110番)から赤坂消防署に救急車の出動要請が入る。
AM10:16救急隊がマンションに到着。「ユッコが鋭利なナイフで左手を切っており、周辺でかなりのガスの匂いがした」(救急隊員)
AM10:20ロータリーマンション管理委員からサンミュージック総務部に電話が入る。「岡田さんが自殺を図り救急車で病院に運ばれた」
AM10:33東京・北青山の北青山病院に運ばれる。直ちに縫合手術で左手首を4針縫い、傷口の手当て、投薬。この間15分。同病院側は「入院の必要なし」と判断。
AM11:15サンミュージック福田時雄専務。溝口、山崎結美マネージャーが北青山病院に到着。
AM11:50「自殺未遂事件」がマスコミ関係者に伝わり、大混乱となる。
PM12:00「ユッコが、サンミュージックに運ばれる。福田専務と社長室に入り、「ストロベリー・ジュースでも飲んで気を落ち着けなさい」となだめられる。
PM12:15サンミュージック相澤社長から福田専務に電話が入り、福田専務が「本人の前では」と席を外したスキに、ユッコが山崎マネージャーに「ちょっとティッシュを・・・」と言って、屋上にかけ上り、飛び降り自殺。
PM12:40四谷署に遺体到着。
PM1:30サンミュージック6階会議室で、相澤秀禎社長らが記者会見。
PM7:30名古屋から上京してきた両親の一彦さん、孝子さんがサンミュージックに到着。
PM8:08両親が事務所関係者とともに四谷署到着。遺体と涙の対面。
PM8:41遺体とともに関係者が四谷霊園(東京・新宿区)に移動、仮通夜が営まれる。
PM9:00サンミュージックで相澤社長、福田専務、溝口マネージャーが2度目の会見。
順を追って抜粋すると、こうなります。本には最後に峰岸徹さんの記者会見のことが載っていましたが、私は岡田有希子さんの自殺にとって峰岸さんはノータッチだと信じていますので、割愛させていただきました。
岡田有希子さんの自殺以降も自殺をした芸能人はいます。しかし、社会問題になった芸能人はユッコだけでしょう。そのため、ユッコの映像は封印されてしまいました。サンミュージックやテレビ局の皆さん、ユッコの映像をもっと公開してください。ドラマの「禁じられたマリコ」を再放送してください。岡田有希子さんの特番を組んでください。それが、今の私の望みです。
ユッコが自殺した日(1986年4月8日)のワイドショー「酒井広の噂のスタジオ」で梨元勝さんがユッコの自殺直後のサンミュージックをレポートしている映像がYoutubeにありましたので、URLを載せておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=Mgl2QH7MYyE
ちなみに、岡田有希子さんのお母さんは、すでに亡くなられております(昨年の私のブログの5月16日の山本屋総本家の東京進出の記事を参照にしてください)。
1986年4月8日、AM9:00南青山マンションの6階の住人が管理人の部屋(3階)を訪れ「4階がガス臭い」と報告する。
AM10:09警視庁通信指令センター(110番)から赤坂消防署に救急車の出動要請が入る。
AM10:16救急隊がマンションに到着。「ユッコが鋭利なナイフで左手を切っており、周辺でかなりのガスの匂いがした」(救急隊員)
AM10:20ロータリーマンション管理委員からサンミュージック総務部に電話が入る。「岡田さんが自殺を図り救急車で病院に運ばれた」
AM10:33東京・北青山の北青山病院に運ばれる。直ちに縫合手術で左手首を4針縫い、傷口の手当て、投薬。この間15分。同病院側は「入院の必要なし」と判断。
AM11:15サンミュージック福田時雄専務。溝口、山崎結美マネージャーが北青山病院に到着。
AM11:50「自殺未遂事件」がマスコミ関係者に伝わり、大混乱となる。
PM12:00「ユッコが、サンミュージックに運ばれる。福田専務と社長室に入り、「ストロベリー・ジュースでも飲んで気を落ち着けなさい」となだめられる。
PM12:15サンミュージック相澤社長から福田専務に電話が入り、福田専務が「本人の前では」と席を外したスキに、ユッコが山崎マネージャーに「ちょっとティッシュを・・・」と言って、屋上にかけ上り、飛び降り自殺。
PM12:40四谷署に遺体到着。
PM1:30サンミュージック6階会議室で、相澤秀禎社長らが記者会見。
PM7:30名古屋から上京してきた両親の一彦さん、孝子さんがサンミュージックに到着。
PM8:08両親が事務所関係者とともに四谷署到着。遺体と涙の対面。
PM8:41遺体とともに関係者が四谷霊園(東京・新宿区)に移動、仮通夜が営まれる。
PM9:00サンミュージックで相澤社長、福田専務、溝口マネージャーが2度目の会見。
順を追って抜粋すると、こうなります。本には最後に峰岸徹さんの記者会見のことが載っていましたが、私は岡田有希子さんの自殺にとって峰岸さんはノータッチだと信じていますので、割愛させていただきました。
岡田有希子さんの自殺以降も自殺をした芸能人はいます。しかし、社会問題になった芸能人はユッコだけでしょう。そのため、ユッコの映像は封印されてしまいました。サンミュージックやテレビ局の皆さん、ユッコの映像をもっと公開してください。ドラマの「禁じられたマリコ」を再放送してください。岡田有希子さんの特番を組んでください。それが、今の私の望みです。
ユッコが自殺した日(1986年4月8日)のワイドショー「酒井広の噂のスタジオ」で梨元勝さんがユッコの自殺直後のサンミュージックをレポートしている映像がYoutubeにありましたので、URLを載せておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=Mgl2QH7MYyE
この記事へのコメント
書かれているのは本当の話がほとんどだと思います、実際ユッコの実家に行かれた事のある方から聞いた話がほとんどだと思います。あなたはどこから聞かれて書かれているのか分かりませんが
懐かしさと…深い悲しみが僕を襲う…もし彼女が生きているなら、今は42才…素敵なお母さんになっていたと思うと…彼女の存在はとてつもなく大きい…
当時の情報誌「フォーカス」彼女の死亡記事の内容は今でも忘れられない…「暖かい春の日差しの中、彼女は死んだ。本名佐藤佳代。ブランド名を岡田有希子と言った。彼女が身を乗り出して飛び降りしたのは(省略)サンミュージックの屋上。(ティッシュをとってくる)この言葉を最後に、階段を駆け上がったそうだ…」
今、涙がいっぱいあふれました…もう書けないのでここで終わりにします。
と言っても岡田有希子さんの事は「くちびるNETWORK」で、あっ良い曲だなと思ったぐらいでファンではありませんでした。
彼女の自殺、とてもショッキングな出来事ですが、よく死ぬことが出来たなって思っています。
だって、普通死のうなんて思わないですからね、どちらかと言えば死にたくない!と思っているはずです。
私の周りでも「自殺」した人が数人います。
私の義理の兄貴です
と言っても私より年下でしたが!
彼の自殺の原因は今も不明ですが、11階のビルから飛び降りました。
警察の説明で「防犯カメラの映像を見たのですが、一度、飛び降りるのを躊躇っているのが写っていました」
これは、他殺ではないですよって!の警察からの説明でした。
あの時の写真は目に焼きついています。そして、意を決した時の形相と・・・
来年の2月で5年を迎えます。
そして、私の周りではこの事実に触れることは全くありません。
当たり前と思いますが、嫌な思いでは語りたくないもんです。
なので、岡田有希子さんのお墓以外の訪問は避けるべきでしょうね!
我が家は当時、3ヶ月の娘がいたので家族がいたのでバラバラにならずにすぎました。
しかし、私の義理の兄は彼は死ぬ数時間前に歯医者に行っています。
なのでその時点で、死ぬことなど考えていなかったと思います。
義理の兄貴の動機も不明で、今では誰もその事に触れようとしません。
岡田有希子さんの動機もよく解っていないようですが、余程悩んだのか、突発して起こったのか、
人間ってなにを考えているのか、他人にはわかりません。
長々と書きましたが、遺族の事を考えると
お墓
以外の訪問は避ける(遠慮)すべきと思います。
長い間、彼女を忘れずにいてくれて、変わらず愛してくれて有難う。
ちゃんと前を向いて歩けていますか?
どうかあなたが幸せになる為の努力を諦めないでください。
もう29年が経つんですね…
あの日‥あの時、
自分は中学三年生でした。
新一年生の為に、13時から行うサッカー部の紅白戦の為、ゴールマウスを部員達で移動していたんです。
同級生部員のT君が昼食の為に一度帰宅し、昼食から集合時間に遅刻した彼の口から出た言葉が…“遅刻してごめんなさい”じゃなくて、
岡田有希子さんの訃報の話だったんです。
『ウソつくな!』
みんな、彼が突拍子も無いウソを言っているんだと思っていたと思います。
自分もそう思っていました。
でも、T君の後からさらに遅刻してグラウンドに来る他の三年生部員たちも、そのT君と同じことを言っていたので、その嘘のような話を少しずつ受け入れていったのを憶えています。
私は彼女の死をそのような形で知らされました。
それから年は経ち・・・
つい二週間程前の明け方、
“二人だけのセレモニー”を歌っている彼女が夢の中に現れたんです。
それから、彼女のことが無性に知りたくなり、あれこれと読んでいきました。
当時、なにが彼女の気持ちをそうさせてしまったのか…子供過ぎた自分には分かりませんでしたが、
ずいぶんとオジサンになってしまった、今ならば…なんとなく彼女の気持ちが理解出来るような気がしています。
目を閉じて、優しく微笑む彼女の表情が、強く印象に残っています。
その時の優しい彼女のまま、
安らかに‥穏やかに‥どうか静かに休んで欲しいと願うばかりです。。。
夜に行きたかったのかな?あのダイイングメッセージはなんだったのか?